橋がこころをつなぐ

先日、枚岡神社へ行ってきました。

額田の山にあるこの神社の周りはハイキングコースにもなっていて、いつの季節でも楽しめる場所なのですが、この季節はとくに気持ちのいい空気が楽しめます。


ちなみに枚岡神社は元春日と呼ばれるご由緒のある神社です。

この枚岡神社から奈良の春日大社へ祭神二神の分霊を奉斉されたそうです。


ここに来るといつも思うことがあります。


正面の鳥居をくぐってしばらく歩くと、小さな橋がかけられています。

ここの小さな川の空気がとてもいいんですよ。

ここを渡ると身が引き締まります。

たった3歩ほどで渡れる短い橋なのにです。

思い込みかもしれませんが、明らかに心持ちが変わります。

私にとって、なぜかここのこの橋は、特別にそう感じる場所なんです。


橋をわたる。


これは神道ではすごく重要視される行為ですよね。

神と人間の世界の往来を意味したり、神様に近づく前に罪や穢れを祓い清めるといわれていたり。


こんなエピソードがあります。

(昔聞いた話で少し記憶があいまいなので、多少の表現のずれがあるかもしれません)

第二次世界大戦終了後間もなくのころ、戦後の混乱と経済の混乱で天皇陛下は伊勢神宮の式年遷宮を延期することを決断されました。

しかし、せめて神の世界と私たちの世界を渡す宇治橋の建て替えだけでもと、芸術家たちが自分の書いた絵を献上したりといろんな形での有志による協賛の運動が始まりました。

そこで宇治橋の建て替えが執り行われ、その後も協賛の運動が続きなんと4年後に当初必要と思われた金額の倍の協賛金が集まったことにより、無事式年遷宮は執り行われる運びになったそうです。

そのおかげで芸術家たちが寄進した絵は売却しなくて済んだようで、いまも伊勢神宮で大切に管理されているようです。


まさに橋が戦後の混乱で分断されそうになった神道の歴史と人のこころをつないでくれたんですね。


橋にまつわるエピソードは世界中の神話に出てきます。

架け橋という言葉にも象徴されるように「橋を渡す」という行為、これは人間の歴史におけるとても重要な行為で、さまざまなものを生み出してきたんでしょう。


そして現代では橋は目に見える物理的なものだけではなくなりました。

手紙や電話、そして通信技術は新しい「橋」です。

私たちは、通信という新しい時代の橋をどのように使いそして何を渡していくのでしょう。

いろいろ考えさせらます。


幸せを伝える人、喜びを伝える人、悩みを伝える人、苦しみを伝えるひと、欲望のままに使う人、どこに橋が架かっているのかわからず兎に角一方的に伝える人、様々な人がいます。

新しい橋は、新たな喜びも悲しみも生み出します。


しかし、いままで知らなかった世界への「橋」であることは間違いありません。


どう使うか、どう受け止めるか、これからどんどん変化していくのでしょうね。

この新しい橋でどんな世界がうまれるのでしょうか。

興味は尽きません。

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