心を休める理由

前回、心を休めることのできることを習慣化しましょうというお話をしました。

ちょっと書いてみてもう少し突っ込んでみたいなと思いましたので、ちょっと続きを書いてみることにしました。もう少しお付き合いください。


心の休養、何も考えない時間、というのは軽いストレスを消す時間でもあります。

でももう一つの大きな意義は、大変なことは大変、つらいことはつらい、不幸なことは不幸、そういう事実を受け入れていく時間でもあるのではないかと。


よく、つらいことは笑顔で吹き飛ばしましょうといわれますよね。

同感です、大抵の軽いストレス、ちょっとしたいやなこと、それはそこに集中せず笑い飛ばして忘れてしまうこと。これが一番です。

しかし、人がつまずくのはそれができないとき。

想像以上のストレスにさらされたときですね。


しかし人は面白いもので、ちょっとしたいやなことにくよくよするのですが、大きな不幸やストレスには「これではいけない」となぜか頑張ってしまうことが多いとおもいます。

これにはいろんな理由があると思いますが、ちょっとここに触れ始めると長くなりすぎるので、またの機会があれば。


人は大きなつらいことを心にしまい込んでしまう習性があります。

そして、当面は何もなかったように過ごすのですが、蓋をしていた感情は必ず心の中でくすぶり続けます。

そして、何か他のショックがあったときに、一気に噴き出してしまう。

そういうものなのだと思います。


これはすごく長期的な話で、幼少体験を中年になるまでしまい込んでしまうこともあります。

なにかよくわからないけど、ふとこみ上げてくる怒りは自身の幼いころの心の抑圧だったということはよくある話です。(ほとんどが親から受けた抑圧だったり、これもまた機会があれば)


だから、自分の身に起こったこと、つまり事実をちゃんと受け入れることでしか本当の意味では癒されないことが多いでしょう。

それにはとても時間がかかります。一気に受け入れようとしてもそれはそれで破たんします。


しんどいときはしんどい、つらいときはつらい、そういうのも時間も必要なのだと思います。

そして、一日のなかで心が休める時間を作ってちょっとずつその事実を心になじませていく。

その身に起きた事実がどういう意味を持つのかということなどを考えるのでなく、そして受け入れようと考えるのではなく、何も考えない休息の時間を持つことでちょっとづつ自然に心が受け入れていく。


例えば筋肉をつけるには運動をしなければいけませんが、筋肉は休ませている間に育ちます。

運動する、休養を取る、それの繰り返しで必要な筋力になっていきます。

それと同じようなことが心にも言えるのではないかと思うんです。


何か大きなストレスに襲われたときは、無理に忘れようとしたり、無理に明るく振舞ったりせず、ちょっとずつ時間をかけて自分を癒していくことも必要です。


時間がかかって当たり前なのだと思えば、焦りも減ります。

そうやって日々少しずつ自然に心になじんでいくのではないのかなと。

なかなか立ち直れない自分を許すことで、癒しは始まります。



写真は、住吉大社の近くにある大海神社です。

私にとって神社の空気はとても心が休まる空間です。

すっと力が抜けていく、そんな感覚。

ストレス過多の時は、ちょっと境内で休ませていただく。するとすーっといろんなことがなじんでいくような、そんな気分にさせられます。


日々の生活の中でのことももちろんですが、たまに出かける安らぎの場所というのも見つけてみてください。

あなたにとって心がざわつかない場所。きっとあると思います。


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