月を見て想う

今夜は中秋の名月でした。 

大阪は空も澄んでいてとても美しい月空でした。

毎年、この日には住吉大社の観月祭に行くのがこの数年の恒例となっていたのですが、今年は都合が付かずとても残念でしたが。 


この住吉大社の観月祭では、楽団による生演奏の雅楽とともに舞が奉納されます。 

住吉大社の太鼓橋の上で踊る舞の姿はとても美しく、笙や笛の音、太鼓の音が美しく鳴り響き、月明かりと一体になって、とても幻想的な世界が広がります。




この写真はおととしの観月祭です。

このときは本当に美しい月夜でした。写真の上部にうつっているのがお月さまです。

まるで月読命がいらっしゃるかのような、神話の世界を見ているようでした。


月が空高く上がるとともに雲がかかってきました。それも神秘的です。




少し話は変わりますが、世界中の神話や古代の儀礼で月は死と再生、治癒などの象徴となっていますよね。 


多くの神話では、この世界を創造した神の子供や孫で太陽神と兄弟や双子といった関係で描かれることが多い月の神ですが、最も古いと思われる古代エジプトの神話までさかのぼってみると、偉大なハヤブサの神ホルスの目だと考えられていたんです。 


右目は太陽、左目は月の象徴。

ヒエログリフという古代エジプト文字にある、ウジャトの目です。 

ウジャトというのは「完全な、あるいは修復されたもの」と意味らしく、神話の中に「ホルスの目が傷つきその後癒された」という話に出てきます。

こんなに古い持代から「修復・癒し・再生」の象徴とされていました。 


ちなみにギリシャ神話の古いもの一つでは、カオス(混沌)から最初に生まれたのが月の神で、月の神が太陽そして大地を生んだとされているものもあるようです。  

ガイア(大地)が先に生まれたというのが通説ですから、ちょっと変わってますね。 

それだけ月に神秘性を感じていたのでしょうか? 


その後の世界の神話でも、若さをもたらす神であったり、病を癒す神であったり、そしてロマンティックな恋の物語になったり。 


そして、神話の時代を過ぎても月は様々な物語を生んでいきます。  

古代インド哲学のヴェーダの聖典ウパニシャッドでは月は天界の門とされ、死が訪れた者の魂が最初に赴くところとされていました。  


古代の人たちは月の満ち欠けやその輝きに様々な神秘を感じて生と死、そして再生といった生命のサイクルと重ねていたんでしょうね。 


これから夜の散歩も気持ちいい季節ですし、こういう思いで月を見るのも感慨深いですよね。 



最近、「立ち止まる」というキーワードがやけに頭に浮かびます。

毎日の繰り返しの行動や思考のなかで、普段通り過ぎる場所で、少し立ち止まって一呼吸おくだけで、ちょっと楽になったり、新しい発見があったり、心が穏やかになることはたくさんあるような気がしています。 

そういうことを考えようとしているのかな? 


ともあれ、いつも歩く帰り道、少し立ち止まって空を見上げると、世界が変わるかもしれませんよ。   

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