言葉
僕の腹の中で言葉が熱くたぎっている
ねえ、わかるかい?
言葉を迎える者
言葉を迎える者がやってきた、言葉を迎える者
言葉は学ぶもの
それを話す者がいなければ、言葉は発されることはない
言葉は学ぶもの
アフリカのマリという国のアーチスト、サリフケイタの「クマ(言葉)」という曲の歌詞の一部です。
サリフケイタはマリの貴族の家に生まれたのですが、生まれつき色素がかけている病気で白い肌で生まれ、それを忌み嫌った家と社会は彼を迫害し一族より追放同然の扱いをされます。
彼は家をでてミュージシャンを志し、次第にアフリカのみならずヨーロッパで人気を得るほどになります。
そのサリフケイタの1991年の作品「アメン」というアルバムに収録されている曲です。
彼のその人生からの叫びなのでしょうか、胸に突き刺さるような歌声でした。
強さ、しなやかさ、すべてにおいて聞いたことのない声でした。
確か20代中盤の頃だったと思うのですが、この曲を聴いたときの衝撃は忘れることができません。
私がアフリカや中東の音楽にのめりこんでいくきっかけにもなった曲です。
言葉ができて、あふれるような自分の思いを人に伝えることができるようになりました。
言葉のない時代は、そのあふれるような思いをどのように感じていたのでしょう。
伝えることができなくて、もどかしくて仕方ない感じだったのでしょうか?
言葉を自在に使いこなせるようになった現代人でも、言葉を使って何かを伝えるというのはとても難しいことです。
言葉は時として刃になります。
気をつけていても私たちは言葉の過ちを犯してしまいます。
自分が相手に刃を向けていることさえなかなか気がつきません。
歌詞に戻りますが、
「口を慎むんだ、自分一人が言葉の主ではない~生きるものにはすべて死が来る~死は何物にも容赦はしない」
というフレーズが最後のほうに出てきます。
そう、そのことを私たちはつい忘れがちです。
私たちは、自己の主観で生きています。どんなに頑張っても主観を離れることはできません。
自分が見ている、感じている今のこの瞬間、この感覚は、人の数だけ違う形で存在していることをつい忘れてしまいます。
それを忘れた瞬間、自分の感情と思考がすべてになります。そして自分一人が言葉の主になってしまうのでしょう。
言葉に限らず、「慎むこと」。
これは本当に大切で、いつも心にとめて気をつけなくてはいけないなと考えさせられます。
客観的に自分を見つめることなどそうできないのですから、慎むことで、幾分かは防げることは多いのだと思います。
久しぶりにこの曲を聴いて、ふと書き留めておきたくなりました。
ちなみにこのアルバム、ちょうどアフリカの音楽とヨーロッパのポップスがクロスオーバーを始めた時代で、アフリカンビートを基調としながらもポップス的なアレンジがされていて聞きやすい音楽になっていると思います。
興味のある方は一度聞いてみてください。
ユーチューブなどでも聞けると思います。salif keita kuma で検索すると一発かな。
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