慈しみの世界

私はもう一つ、原始仏教についてのブログを書いていたのですが少し中断していました。


私は宗教家ではないのですが、たまたま原始仏教に触れる機会があって、その思想の面白さと現代仏教との隔たりに驚いて、少し勉強したことがあります。

すこし、環境の変化もあって落ち着いて書けなくなったこともあるんですけど、書いてみて改めてその表現の難しさに驚き、自分の勉強不足とか文章力に不足を感じて少し期間を置いていたのですが・・・


先日、マインドフルネスとかアンガーマネジメントのことを書いて、ふと、そのブログそういえば半年以上放置している!と気がつきました。



私は、始めて原始仏教に触れた時、お釈迦さまという方の説いたものは、いわゆる宗教じゃなかったのではないのか?ということが頭によぎりました。

いろいろ考え調べていくうちに、それは確信に近いものになって、お釈迦さまのやろうとしていたことは、

「行き過ぎた神秘主義思想的宗教・哲学から洗脳を解き、人をその呪縛から解放する」

ということではなかったのだろうか。

と考えだしました。

時代的にも、インドの哲学はとても神秘主義が行き過ぎ、何かにつけ祈祷や儀式に頼るようになり、それを仕切る司祭が異常な力を持っていた時代です。


そんな思想がはびこる中、宗教のように何か特定の思想に固まることではなく、人として善く生きる方法を必死になって模索していたのだと思います。

そして見つけた。それは特別な教理や教条ではなく、人としての道そのものだった。

事実、お釈迦さまはいろんな宗派の人と話し、改宗を進めるどころか、素晴らしい修行者であれば同じ「道の人」として称賛していました。


「法を説くのをかなりためらわれた」という逸話が事実なら、その想像は遠くないような気がします。

説いてしまうと、一つの宗教となる。そう懸念したのかもしれません。

事実、仏教はその後、神秘主義化していきます。

現代仏教は原始仏教と思想を共有するものもあるのですが、異質な思想も多くなっています。

少なくとも原始仏教には複雑で難解な理論は登場しません。


まあ、このことの根拠とか書き出すととてつもなく長いものになるので。

以前、書いてネットにあげたことあるのですが少し理論のブレがうまくまとまらなかったので今はお蔵入りになってますね(笑



で、その仏教ブログ、見直してみると、「現代仏教の成り立ち1」という続き物の途中で終わってます。

確か、この記事書きながら歴史検証に自信がなくなってすこし期間があいて、そうこうしているうちに・・・という感じだったと思います。


これはよろしくないなぁということで、さっき続きを書きました。


さほど記事数もないので、興味のある方はぜひ、「はじめに」から読んでみてください。

なるべく難解な言葉は避けて、お釈迦さまが説かれたであろうという言葉を私なりに解釈してかいています。


ほんとうに、この原始仏教というのはとても優しく平易な言葉で書かれていて、本当にお釈迦さまが人間主義だったことを想像させてくれます。


慈しみをもって世界をみて、慈しみをもってことばをしゃべり、慈しみをもって行動する。それは神や仏と人の関係ではなく、人と人、そして自然との関係。

そんな、人物像が浮かんできます。



これからもなかなかけないと思いますが、続けていこうと思います。


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