アフリカの芸術
先日、「人の祈りと音楽」という記事で国立民族学博物館に行ったことを書きましたが、民族学博物館といえばどうしても忘れられない思い出があります。
もう数年前になりますが、その民族学博物館でエル・アナツイというアフリカの彫刻家の展示会を見る機会がありました。
この壁一面に広がった大きな織物のようなもの、これ何に見えますか?
少し古い写真で解像度が低いのでわかりにくいかもしれませんが、
実はこれ使用済みのお酒やジュースのアルミ缶を加工して銅線でつないだものなのです。
これだけのアルミ缶を使って作り上げるのにどれだけの時間と労力がかかったのか、想像できないくらい大きな作品ですが、そのようなことを感じる前にとにかく美しい。
しかし、近くに寄ってみると確かにジュースの缶をただつぶしたものです。商品の印刷などもそのままです。
エル・アナツイはアフリカのガーナ出身でナイジェリアを拠点に、木の彫刻を主体に活動をされていた芸術家なのですが、木の彫刻で歴史的なことなどいろいろ表現しているうちに、
「奴隷時代などを非難することでなく、癒しの過程として表現できないだろうか」
と考えた時に、近所で見たアルミ缶のごみの塊をみて、1999年ごろからペットボトルのボトルキャップやアルミニウム片など廃品をつかった創作活動を始めたそうです。
「人が触ったり使ったものは見えない力が宿る」との思想で廃品に意味を見出し、その廃品をいくつも使い編むように組み立てることで、「歴史と現在、そして人」というつながりを表現するのだとか。
捨てられた日用品をいろんなものに再利用するのはアフリカではよくみられる光景らしいのですが、それをアフリカ特有の織物の柄のようなものに表現するアナツイさんの発想にはただただ驚きました。
ほかにも、ペットボトルのフタをつないだタペストリーやいろんな廃材を使ったオブジェのようなものはとても面白く、廃材むき出しにもかかわらずそれを意識させない美しく迫るその芸術性は圧巻でした。
廃材を使いましたという芸術表現は最近、日本でも見かけることがありますが、どちらかというと廃材であることを主張するものが多いのですが、廃材を加工せずそのまま使いながら、そのことを感じさせない美しさを表現しているものはあまり見たことがありません。
私のアフリカの芸術との出会いは、ティンガティンガアートというポップアートがきっかけでした
10代の頃、渋谷の西武百貨店でたまたま偶然、ムパタという画家の展示会が行われていたのですあが、その時にみたその絵にとても心惹かれました。
風景と動物や人物をカラフルにエナメルペンキで描いたものなのですが、その独特の色使いは衝撃的で、色使いというか色彩のあまりの美しさに心が奪われました。
昼の太陽に照らされた動物や大地、夕暮れに染まる空と大地、夜の闇、すべてが初めて見る強烈な色でした。
西洋や日本の絵では見ることのできない色彩です。
それからアフリカの音楽も聴くようになりました。
タマというトーキングドラムとサバールという太鼓でンバラという独自のアフリカンポップを生み出したアフリカ、セネガルのユッスー・ンドゥールは1990年に発表したSETという曲で
「心を清めて、それとともに生活環境も清めよう、そしてよい未来を作ろう」
というようなことを躍動感あふれるリズムで歌うのですが、それがセネガルの若者を中心に支持され、セット・セタル運動という街をきれいにしようという運動が展開されたそうです。
実際のセネガルの市街地はそのおかげでずいぶん清潔なんだとか。
西アフリカには歴史などを歌にして伝えるグリオと呼ばれる吟遊詩人のような伝統的な仕事があり、その家系に生まれた彼は、歌に絶えず歴史などを語ると同時に、後ろを向かず前向きに生きること、そして未来に対する希望と喜びをつづっています。
それは音楽自体に反映されていて、言葉が分からない私にも、それはすさまじいまでの躍動感で伝わってきます。
アフリカのこういう音楽や芸術をきいたり見たりして思うのですが、「生きる」ということの模索をストレートに芸術として表現しているからでしょうか。
中東やアフリカの歴史というのは私たちが知っている以上に複雑で壮絶なものだったと思うのですが、やはりそういう歴史を乗り越えようとする力がそうさせる面もあるのでしょう。
伝わってくるものが、他の芸術とは少し異質というか次元が違うようなものを感じることがあります。
そして、メッセージ性が強いにもかかわらず、説教臭さや小難しい理論のお遊戯を感じることなく、瞬間的に心奪われるように、ただストレートに美しいとか、そのリズムと歌の躍動感が体中に伝わってくるようなものばかり。
うまく言えませんが、本源的な生命の表現といわゆる現代社会のメッセージが同じ次元で両立しているという感じでしょうか。
とにかくそういうアフリカの芸術に触れていると、その美しさは、人間の根本的な「生きる」ということに誠実に向きあっているからではないかとふと思うことがあります。
日本ではメディアの伝え方もあり、アフリカのイメージはまだまだよくないのですが、実際、アフリカではそういった芸術がたくさん生まれていて、しかも多数のアフリカの人々がそれを支持しているのですから、私たちが思ってる以上に彼らは生きることに誠実なのではないかという気がします。
人間はどういう生き物なのか?という思索は延々と数千年、いろんな哲学者によって思索され語られていますが、そういう芸術に触れていると、アフリカはその回答をすでに持っているような気がすることもあります。
先日の「内なる神々の声」ではないですが、アフリカは人類が生まれた土地です。自身の遺伝子の情報をより身近に感じているのかもしれません。
これは少し飛躍しすぎですね(笑
まあ、ともあれ、アフリカの芸術そしてその思想には興味が尽きません。
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