思いを形にすること
熊本震災からもうすぐ一年になります。
復興もまだまだ道半ばで、地元の方は本当に大変な思いをされていると思います。
私は、熊本に知り合いはいませんので、特に直接的な被害はなかったのですが、神戸の震災の翌日に現地入りした経験上、震災への感情移入はとても強いものでした。
たまたま私自身、前年に2度手術をしていて、その年の夏にも手術が予定されていて、とても不安定な精神状態のときだったので、とてもナーバスになったのを覚えています。
確かその時にもう消しちゃったんで忘れたのですが、
「私たちにできること」というキーワードがネットやテレビに飛び交ってるけど、そうやってだれしもが何かしなきゃいけないというムードを作ってその情報を溢れさせて、ほんとに必要とされていることが見えなくなってきている。
まだ震災の傷の大きさの全容も把握できてないのに・・・。
とか、なんとかかんとか、ちょっと斜めからものを言った記憶があります。
まあ、今になって思えばなんと恥ずかしいことを言ったのかとおもいますが、まあ、人生というのはいつも後で考えたら恥ずかしいことの連続ですよね。それは私だけか(笑
少し前置きが長くなりましたが、そんな震災直後、コスメを販売する会社をしている友人と話しているときに、チャリティーでキャンドルを作ろうかという話になりました。
私たちは、少し悩みました。
というのも、私とその友人がそれをする意味はどこにあるのか?と。
やはり、震災で苦しんでいる人たちを目の当たりにした経験上、そう軽い気持ちでやることじゃないなとおもったり。
それに仕事でもないので大量に作れないから、チャリティーとかいうほどじゃないしなぁ・・・と。宣伝する力もないしね。
とはいえ、家に帰っていろいろ考えているうちにふと、熊本の美しい風景をキャンドルにできないか、との思いが浮かびました。
そのキャンドルを使うたびに、熊本を連想してくれて、ただ忘れないとかいうのではなくて、癒しにつながるのも。
そして熊本の産業を紹介できるもの。
このキーワードならどうかと。
そこで、いろいろ調べているうちに、熊本の柑橘を使ったオーガニックの精油があることもわかりました。
この震災の状況でその商品が手に入るかどうかはわかりませんが、その精油を使ったキャンドルなら意味があるのかなと思い、作ってみることにしました。
そのメーカーに問い合わせてもらったのですが、震災でラボが半壊してどうしようもありませんと。
何とも言えない気持ちになりましたが、これが現実です。
しかし、その考え方はとても好意的に受けてもらえたので、もう少しいろいろあたり、ある精油に出会い熊本から送っていただくことになりました。
その精油を核に、その風景をイメージして精油をブレンドしてその香りの輪郭をつくっていき天然のソイワックスでキャンドルを作成しました。
とにかく品質重視で、ワックスとして肌に塗ってもいいくらいのレベルのものにしました。
そして、そのキャンドルを友人の会社で一時期、販売しました。
もちろん、そこまで実際にかった人の感想などはわかるわけもなく、なんとなくこんなことして、意味あったんやろか?自己満足やったんやろか?自分の不安な気持ちを投影しただけやろか?と少し自問自答したこともあります。
しかし先日。
友人から連絡があって、まだそのキャンドルが作れるかと。
九州のサロンで、震災関連のイベントでこのキャンドルを使わせてもらいたいという話があったと。
最近そう時間もないし、ひとつずつ手作りなので、どうかな?とも思ったのですが、時間もいただけるということなので、作らせていただだくことにしました。
さほど露出もしていない中、これだけいろんな商品がある中で、このキャンドルを選んでいただけたというのは、本当に奇跡のようなことなのですが、なにか私の心に、「思いを形にする」ということはどれだけ大切なことなのか、というようなことが胸にこみあげてきました。
しっかりと考えて思いを形にするということは、やはり無駄じゃないんだなと。
気持ちが帰ってくる来ない、それは関係なく、自分はいつもそうやっていればいいんだと。
そう思える、ほんとうに素晴らしい出来事でした。
2コメント
2017.02.23 13:03
2017.02.22 22:18