やがて朽ちる木が生み出す永遠
しっかりとした木製品は長く使えば使うほど味が出てきていいですね。
なんといってもホッとします。
素晴らしい木の製品を使うことは手触りも香りも含めて、本当に癒されます。
そんな、木のことについてすこし・・・
岐阜の飛騨高山にオークビレッジという会社があるのですが、「100年かかって育った木は100年使えるものに」という合言葉で、建築資材から家具、キッチン用品、子供のおもちゃなどなどいろんな木製品を作っている会社です。
しっかりしたものを作る会社として結構有名ですよね。
この会社のある土地は、もとは飛騨高山の別荘分譲地として失敗して放置されていた荒地だったそうで、その荒れ地にコツコツと苗木を植えるとこから始められたとか。
そして、木が育ち、森ができ、その森を維持し育てながらものづくりをする。
ジャンルにこだわらず様々な製品を作ることで、一切の資源を無駄にせず、木の特性を生かし切ったものづくりをされています。
そんな自然との共生を考え、循環型社会という課題に対して真摯に取り組まれている会社でもあります。
そんなこの会社の創業者である稲本正さんはもともと学者で、原子物理を研究されていたころに、エルヴィン・シュレーディンガーという物理学者が書いた「生命とは何か」という本の
「唯一、植物圏だけが、地球をきれいにする」
という一節に心惹かれ、この森林を育てながら、資源を使うという循環型の事業を決意をされたそうです。
経済至上主義ともいえる社会構造の中で、このような長期的視野にたち、なおかつ現実の利益を生むのにも時間がかかる経営というものはなかなかできないことが現実です。
ほんとうに、すごいことです。
確かに、人間が何かを生み出すのには莫大なエネルギーを消費し、環境をどんどん破壊していきます。
それに対して木、植物という存在は光、二酸化炭素、水というエネルギーのみで成長しながら酸素を生み出すという、世の中を汚すどころかきれいにしながら循環することが可能な稀有な存在です。
木を育て、木をつかう。そしてその間にまた育てる。
ほんとうに、素晴らしい取り組みだと思います。
そこで思うのですが、
日本は神道という原始的な宗教が現存する珍しい国です。
中東、欧州等、歴史ある国を見ても、原始的宗教、いわゆるアニミズム的な神話の世界の様式、神殿は朽ち果て、歴史学者が検証しなければわからないような状況です。
しかし日本では、建物、儀式、精神まで残すことができました。
.これも、日本が、その「木」というものを使ったからなのでしょう。
欧米の神話の世界の神殿などはほとんど石で作られています。
これは永遠に残るよう堅牢なものを選んだ結果でしょう。
しかし日本はこれをはじめから、「木」というやがて朽ちるであろう材質で作りました。そして、20年ごとに造替を行うという仕組みを作りました。
それによってもたらされたものは、建物が常に古い様式のまま新しいだけではなく、20年に一度大きな大きな神事を行うことによって、永遠にその信仰の精神性を持続することを可能にしたのです。
このおかげで、日本では、科学や技術が発展していない時代の人たちが、この自然とどうやって向き合い、過酷な環境を生き抜いていたのか、ということをその空気まで含めてうかがい知ることができるという素晴らしい結果をもたらしました。
神話時代の日本のみならず、メソポタミア文明でも、エジプト文明でも自然との共生は図られてきました。
しかし、エジプトの神殿は廃墟になりました。
それを日本では、いずれ朽ちる「木」というものを使うことで、持続可能にしたのは驚愕です。
循環型社会の実現というのは様々な要素が絡み合って、簡単には論じれないとは思うのですが、いずれにしても木を育て木を使うという生活様式は、この地球の様々な問題に対する一つの大きなヒントがあるんでしょうね。
写真は住吉大社の観月祭の様子です。
※この記事は以前のブログ20161月29日掲載分を再編集、訂正したものです。
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